自殺をめぐる聖久律法会の教義について

弊会は昨年、「日本型イスラーム」というイスラームの宗派をリリースしました*1。弊会はそれ以前から、聖久律法会というイスラーム系の新宗教をリリースした宮内春樹さんを応援していたわけですが、けっして、日本型イスラームのリリースに伴って、彼に対する応援を終了したわけではありません。今後も、日本型イスラームの布教と並行して、彼に対する応援も推進していきたいと考えております。

弊会はこれまで、宮内春樹さんという教祖と、聖久律法会という宗教とを、それほど厳密には区別しないで応援してきました。しかし、今後はそれらを区別して、聖久律法会に対する応援からは手を引き、応援の対象を宮内さんに絞りたいと考えております。この方針転換は、弊会が聖久律法会に対する位置づけを変更したことによるものです。これまでの聖久律法会に対する弊会の位置づけは、宮内さんを教祖とする唯一の宗教というものでしたが、現在の位置づけは、彼がこれから作ることになるであろう宗教の試作品というものです。弊会が聖久律法会に対する位置づけを変更した理由は、その宗教の布教が進んで教線が拡大した場合に、それはおそらく社会からカルトとして認定されるであろうと推測されるからです。

現在の聖久律法会は、カルトであるとは認定されていません。しかし、それをカルトとして問題視する者が誰もいない理由は、現状では信者があまりにも少ないために社会的な影響力がほとんど無視できる程度だからに過ぎません。もしも信者が増加して、社会的な影響力を無視することができなくなったならば、聖久律法会は、カルトであるという認定を避けることが困難でしょう。

聖久律法会が持っているカルト性は、それが持っている自殺をめぐる教義を原因とするものです。ウィキペディア聖久律法会の項目にも書かれているように、イスラームの主流派とは違って、聖久律法会は、「神はすべての人民に即刻自殺せよとおっしゃいました」という教義を持っています。カルトについて多少の知識のある人ならば、人民寺院太陽寺院、ヘヴンズ・ゲートなどの集団自殺で知られる宗教団体を想起して、聖久律法会もまたそのような集団自殺を引き起こすのではないかと考えるのは自然なことです。

聖久律法会には、「神はすべての人民に即刻自殺せよとおっしゃいました」という教義があるわけですが、それにもかかわらず、現在のところ、聖久律法会の信者の誰かがこの教義にもとづいて自殺をしたという話は、どこからも聞こえてきません。この謎を解く鍵は、宮内さんの次のような発言にありそうです。

即刻自殺しなさい。それができぬ弱い人間は、私を信じなさい。身体に悪いことを一通りしなさい。煙草、酒、ドラッグ。なんでも構いません。

http://twitter.com/HaruYauchi/status/162118440860135425

どうやら、自殺をめぐる聖久律法会の教義というのは、より厳密に言えば、「神は人間に自殺せよと命令しているが、人間というのは意志が弱いので自殺ができない。そこで、即座に自殺するのではなく、煙草や酒やドラッグなどによって寿命を縮める行為をも神の命令に従うものとみなす」ということのようです。聖久律法会の信者の一人である風合文吾さんは、健康を害することによって自身の寿命を縮める行為を、「緩慢な自殺」と呼んでいます*2

聖久律法会の信者が自殺したという話をいまだに聞かない理由は、おそらく、性急な自殺ではなく緩慢な自殺を彼らが実践しているからであろうと思われます。しかし、たとえ現在の聖久律法会の信者たちがすべて意志の弱い者たちばかりだとしても、将来に渡ってそうであり続けるとは限りません。もしも、将来において意志の強い信者が出現して性急な自殺を実践するようなことがあれば、聖久律法会は危険なカルトとして糾弾されることになるでしょう。また、性急な自殺を実践しないまでも、緩慢な自殺がエスカレートして非合法の薬物が使われるようになれば、指弾の対象となることに変わりはありません。聖久律法会は、自殺をめぐる教義を保持したまま布教を続ける限り、将来におけるカルト認定を避けることができないでしょう。

すでに述べたように、弊会は現在、聖久律法会の位置づけを変更して、それは、これから宮内さんによって作られることになるであろう非カルト的な宗教の試作品である、と考えています。ですから弊会は、宮内さんに対して、聖久律法会の布教活動を速やかに停止して、カルト性を持たない、さらに洗練された宗教の作成を開始する、という方針転換を強く勧告したいと思います。

宮内さんは、教祖としてはまだまだ駆け出しです。聖久律法会を立教した2012年1月の時点では、宗教についての知識が充分にあったとは言えません。自殺を奨励するというカルト的な教義が聖久律法会に紛れ込んでしまったのも、教祖としての彼の未熟さに原因があります。しかし、試作品を作ってみるというのは、教祖としての経験を積む上で大いに有益です。したがって、彼が聖久律法会をリリースしたことは、まったく無駄だったわけではありません。そして、第二、第三の試作品を作ることも、大いに有益でしょう。それらの試作品は、弊会を含む多くの人々によって批判され、彼はそれらの批判から多くのことを学ぶことができるでしょう。彼は、そのようにして知識と経験を充分に獲得したのち、試作品ではない宗教を満を持してリリースすべきである、と弊会は考えています。

宮内さんは、まだ20代の若者です。彼の前には、教祖としての知識と経験を得るための時間が、まだまだ十分に残されています。ですから、急ぐ必要はありません。キリスト教イスラーム、そして仏教のように、時代を超えて語り継がれる宗教を、じっくりと時間をかけて熟成させてほしい、と弊会は切に願っています。