一神教学会は設立十一周年を迎えました

2006年5月22日に設立された弊会は、本日、めでたく十一周年の佳節を迎えました。弊会がこれまで活動を続けることができましたのは、弊会を生温かく見守ってくださっているすべての皆様のおかげです。ここに、改めまして皆様に厚く御礼申し上げます。

弊会は現在、設立十一周年を記念する事業といたしまして、「ゾーエー派」(Zoe-ha)と称する宗教の布教を計画いたしております。この宗教は、浄土真宗を構成している、本願寺派大谷派、高田派、仏光寺派などの宗派群に新たに加わることになる宗派で、その名称は、ギリシア語で命を意味する「ゾーエー」という名詞に由来しています。

浄土真宗の各宗派は、念仏による極楽浄土への往生という教義を信仰の核心に置いています。この点については、ゾーエー派も他の宗派と同様です。ただし、ゾーエー派においては、阿弥陀如来は自身の名前を唱えるか否かということとは無関係に一切の衆生を極楽浄土に往生させる、と考えられています。ですから、ゾーエー派においては「念仏」という言葉を、一切の衆生にとって不可避である行為、すなわち「生きること」と定義しています。

ゾーエー派においては、念仏による極楽浄土への往生という教義に加えて、現世を生きている人間にもたらされる阿弥陀如来の光明に関する教義も重要視されます。阿弥陀如来が人間に光明をもたらす理由は、すべての人間が現世において幸福になることを如来が願っているからです。ただし、煩悩を持たない如来が考える「幸福」と、煩悩を持つ人間が考える「幸福」とは、同じものではありません。

人間は、現世を生きている間は煩悩を捨てることができませんので、現世では如来的な幸福というものの価値を理解することができません。しかし、たとえ理解できなくても、人間的な幸福よりも如来的な幸福を追求するほうがよいとゾーエー派は主張します。なぜなら、もしも人間的な幸福のみを追求した場合、極楽浄土に往生して煩悩が消滅したときに、大きな後悔を味わうことになるからです。

現在、弊会会長は、「浄土真宗ゾーエー派の教理問答」と題するゾーエー派の経典を開発する作業を進めております。近日中にはその経典のアルファテストを開始する予定でございますので、その節は、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせいただけますとありがたく存じます。